特集: ケネディ暗殺~悲劇か陰謀か~ |
ヒストリーチャンネル(世界最大の歴史エンタテインメント専門チャンネル)で、ケネディ暗殺特集を放送します。 ヒストリーチャンネル お問い合わせ…ヒストリーチャンネル カスタマーセンター 受付時間…9:30~18:30(土日・祝除く) TEL…045-228-3719 今回の番組のHP (1)JFK: アメリカを変えた3発の銃弾 前編11月15日(月)23:00~25:00 後編11月16日(火)23:00~25:00 前・後編11月20日(土)21:00~25:00、ほか この4時間の特別番組は、映像や写真の膨大なアーカイブや、目撃者の証言などを含む、多くの証拠と事実に基づいて作られている。その中には、今まで非公開だった、JFKの暗殺犯とされるリー・ハーヴェイ・オズワルドの留置場でのビデオ映像なども含まれる。エミー賞受賞作品『9.11~アメリカを変えた102分』と同様に、物語は時系列で進行する。時間がたつにつれ、必然的にあの決定的瞬間に向かっていく。暗殺されたまさにその瞬間にライフル弾の銃声がディーリー・プラザに鳴り響く。あらゆる資料が長年の不透明さをはぎ取る。新たな目線で、あの午後の出来事を見ることができるだろう。あの瞬間、殺し屋が引き金を引き、全世界が変わってしまったのだ。 (2)ケネディ大統領暗殺後の24時間 11月17日(水)23:00~25:00 11月21日(日)21:00~23:00、ほか ジョン・F・ケネディ大統領の悲劇的な暗殺事件は、アメリカという国を形作る上で、最も重要な出来事の1つである。だが、事件直後に何が行われたのかについては、断片的にしか語られてこなかった。この番組では、その歴史を変えた1日を、時間軸に沿って再調査する。新たに公開された文書の驚くべき詳細記述から、急きょ最高司令官の座に押し上げられた副大統領が、限られた情報を元に重大な決断を下すに至る様子が分かった。リンドン・B・ジョンソンが(棺が注文された後で)ジョン・F・ケネディの死を知らされ、エアフォース・ワンの機内で元ファーストレディーとなったジャクリーン夫人の横で(彼女の賛同を得る前に)大統領就任宣誓を行い、自宅に戻って(世界に向けてテレビ放送されただいぶ後になって)その日の出来事の完全な状況説明を受けるまで。アメリカの歴史にとって極めて重要な1日にまつわる、知られざる物語が明らかになる。 (3)ウォーレン委員会~ケネディ大統領暗殺の真相は 11月19日(金)23:00~25:00 11月21日(日)23:00~25:00、ほか 1963年11月22日、テキサス州ダラスで、当時の大統領ジョン・F・ケネディがパレード中に暗殺された。その日のうちに容疑者として元海兵隊員のリー・ハーベイ・オズワルドが逮捕されたが、事件から二日後、移送中のオズワルドは、多くの報道陣、警察の目前で殺害されてしまう。多くの謎を含むこの事件の真相を解決するために、ジョンソン大統領はウォーレン最高裁長官を中心としたウォーレン委員会を組織し、調査に当たらせたが、謎は深まるばかりであった。暗殺の瞬間が記録されていることで有名なザプルーダー・フィルムなど、当時の貴重な映像を交えながら、事件の真相に迫る。 (4)疑惑の陰謀: JFK暗殺容疑者の殺害 11月18日(木)23:00~24:00 11月20日(土)25:00~26:00、ほか 1963年11月24日、衝撃を受けたアメリカは、2日前にジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された事実を受け入れようと苦しんでいた。数千万人が、その日曜の朝、テレビを見つめていた。彼らは、テレビ初の殺人場面の実況放送を目撃することとなった。暗殺容疑者であるリー・ハーベイ・オズワルドが、ダラスのストリップクラブのオーナー、ジャック・ルビーに殺害されたのである。47時間の間、ほかの出来事と関連のない単発の悲劇と考えられていたこの事件は、米国歴史の中で最も疑わしくて有名な陰謀の1つとなった。ウォーレン委員会がオズワルドとルビーの両人は単独犯であると主張した一方で、下院の暗殺特別調査委員会は1979年にJFKの殺害は陰謀による結果である可能性が非常に高いと結論を出した。現在、新しい展開が陰謀をめぐる論争の両サイドに衝撃を与えている。近年明らかにされた証拠は、CIAがオズワルドを追跡していた可能性を示唆し、反カストロ派のキューバ人や、カルロス・マルセロ、ルビー、オズワルド、そしてCIAの間につながりがある可能性を示している。 (5)疑惑の陰謀: ロバート・F・ケネディ暗殺 11月18日(木)24:00~25:00 11月21日(日)25:00~26:00、ほか 1968年6月5日、深夜0時を少し過ぎたころ、ロバート・F・ケネディは、カリフォルニアの大統領予備選の夜、勝利したあとに、ロサンゼルスのアンバサダーホテルの食料室で致命傷を負った。武器を持った襲撃者は、その晩に身柄を拘束され、後に25歳のパレスチナ移民、サーハン・ベシャラ・サーハンと判明した。彼は、ケネディ議員を暗殺した罪で現在も投獄されている。35年以上経っても、ロ バート・ケネディ殺害の疑問は残っている。食料室に第二の武装犯人はいたのか?警官による事実の隠蔽の証拠はあるのか?事件の夜のサーハン・サーハンの精 神状態はどうだったのか、そして、何が彼をRFK暗殺に駆り立てたのか? |
by kennedy-society
| 2010-11-13 11:00
| ケネディ暗殺
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