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ケネディ大統領、ケネディファミリー及びその周辺についてのケネディマニア日記です。
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「猿谷さんとケネディ、アメリカ」(杉田弘毅)

 
 ケネディの会のメンバーで、共同通信編集委員兼論説委員の杉田弘毅さんから、上記タイトルの原稿を拝受いたしました。亡くなった猿谷要先生には会報「KENNEDY」の創刊以来、会報を発行の都度お送りし、お手紙でアドバイスや励ましをいただいておりました。そのお世話になった猿谷先生を追悼する杉田さんの原稿です。

 本来ならば会報「KENNEDY」に掲載すべきものですが、会報「KENNEDY」第26号の発行が遅れていますので、すみやかに発表できるこちらのブログに先に掲載することにいたしました。

 杉田弘毅共同通信編集委員兼論説委員

 1957年生まれ。一橋大学法学部卒業。1980年共同通信社入社。大阪社会部、テヘラン支局長、ニューヨーク支局員、ワシントン支局長などを務め、現在編集委員兼論説委員。アメリカ政治・外交、日米関係、中東、核兵器問題などを専門とする。著書に
『検証 非核の選択』(岩波書店 2005年)
『さまよえる日本―未来へのシナリオ』生産性出版 2008年)
『アメリカはなぜ変われるのか』 (ちくま新書 2009年)
などがある。
E-mail: メールアドレス


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 猿谷さんとケネディ、アメリカ


 東京女子大学名誉教授の猿谷要さんが1月3日、87歳で亡くなった。猿谷さんと言えば、日本が太平洋戦争で米国と戦争を始めた10代後半の時に「敵国」に興味をもってから、70年近くにわたり米国とかかわってきた米国研究の泰斗だ。白人でなく黒人や日系人、先住民に光をあてた平易な表現でアメリカを綴ったことで知られる。最晩年まで米国の動向を追いかけた大先輩の猿谷さんの追悼文を書いた。ケネディの会の皆様に読んでいただくために、猿谷さんのケネディ兄弟への思いを中心とした文章にしてみた。

 猿谷さんのすごいところは、戦後間もなく東大の卒論のテーマとして「アメリカ奴隷解放史」を取り上げたことに現れている。日本で黒人問題への関心が高まったのは、公民権運動が盛り上がった1950年代後半からだ。マルコムXやキング牧師という英雄の動向伝えられ、自由の戦士として称賛を浴びてからだ。しかし、猿谷さんはそのはるか前から黒人問題に関心を持ってその歴史を追っていたのだ。
 その猿谷さんのジョン・F・ケネディ、ロバート・ケネディ兄弟についての記述も黒人解放に関係している。猿谷さんの60年代の本である「アメリカ黒人解放史」はケネディ大統領の公民権運動についての業績をふんだんに載せている。いくつか紹介してみよう。
 まず、1960年の大統領選で当初劣勢だったケネディがニクソンに逆転勝利した原動力として、黒人との関係を挙げている。
 ケネディはマサチューセッツ州出身で黒人問題が弱点であると認識していた。それにケネディの所属する民主党は人種差別の南部を基盤とし、対抗馬のニクソンの共和党はリンカーンの党だ。
 しかし、キング牧師が座り込みで逮捕され有罪判決を受けると即座に、遊説をキャンセルしてキング夫人に激励の電話をかけ、弟のロバート・ケネディは判決を下した判事に圧力をかけて、翌日釈放を実現させた。一方で対抗馬のニクソンは、キング牧師逮捕を知りながら何の手立てもうたず、黒人のケネディ贔屓が決定的となる。
 黒人票の行方は、接戦だったこの選挙の結果を左右した。猿谷さんの「アメリカ黒人解放史」によると、イリノイ州ではわずか9000票の差でケネディが勝ち、ケネディに当選をもたらしたが、イリノイでは25万の黒人票がケネディに投じられたという。他の接戦州であるミシガン州やサウス・カロライナ州でも黒人票が勝敗の帰趨を決めた。
 こうして黒人の期待を一身に集めてホワイトハウス入りしたケネディは、弟のロバートを司法長官(黒人問題の担当でもある)に任命し、黒人投票権や雇用・住宅での差別撤廃などの措置を次々と打ち出した。1963年の2月にはケネディは議会に公民権に関する特別教書を送り、「アメリカは黒人問題を抱える限り、『自由の国』とは言えない」と警告している。
 ケネディの肝いりでこの年6月には有名な公民権法が議会に提出され、さらに8月キング牧師の「私には夢がある」の演説で知られるワシントン行進のリーダーたちとケネディはホワイトハウスで会談し、差別撤廃を約束している。ケネディは白人と黒人の共学を拒否するミシシッピ州、アラバマ州に連邦軍を派遣するなど、黒人側に立った政策を鮮明に打ち出した。
 南部の黒人のケネディに対する期待は圧倒的だった。猿谷さんが前掲書で挙げた表によると、南部では黒人層の87%がケネディ再選で黒人の権利は好転するだろうと答えたという。また、直近4人の大統領のうち、誰がもっとも黒人のために尽くしたかと問うた世論調査ではケネディ73%、ルーズベルト20%、アイゼンハワー4%、トルーマン3%で大差をつけた。
 しかし、こうしたケネディの公民権政策を南部の白人が喜ぶわけがなかった。1963年には翌年に迫った大統領選を前に、「ケネディが再選されれば、アメリカはおしまい」といった声が南部で渦巻き始めた。
 1963年11月22日、運命の日。テキサス州ダラスを遊説で訪れたケネディは凶弾に倒れた。ダラスは右翼団体であるジョン・バーチ協会などが活発で、反ケネディのメッカだった。それでも「大統領は闘争の真っただ中に飛び込む」を信条に、ケネディはダラス入りしたのだった。
 猿谷さんはケネディの暗殺についてこう書いている。
 「テキサスは人種差別の点ではミシシッピやアラバマほどではないにしても、ダラスが極右団体の中心地であることは周知の事実だったので、この理想主義的な大統領の暗殺は、誰の目にも黒人差別を固守しようとする右翼団体か、暴力的な秘密結社のような組織の仕業かと、本能的に、そう感じさせたほどだった。
 FBIの調査や『ウォーレン報告書』など、いずれも詳細を極めたものであるが、それにも関らずこの暗殺事件の真相については、なお疑問を抱かせる余地が多いように思われる。犯人が誰であろうと、またはどういう団体であろうと、最近の黒人運動のはげしさに手を焼いていたい相当数の南部白人が、これによってひそかに安堵の念を感じたことは確かであろう。」
 猿谷さんも、ケネディ暗殺の裏に何かがあるという疑問を抱いたのだ。

 さて、米政治についての話題書はあますところなく読んだと思われる猿谷さんが、ケネディ大統領を描いた本として最良と挙げるのが、ケネディの補佐官だったアーサー・シュレジンジャーの著「ケネディ 栄光と苦悩の一千日」だ。当時小学生だった私も赤い表紙のこの本は覚えている。日本でもベストセラーとなった。猿谷さん自身が一部を翻訳しているから愛着も深いのだろう。
 岩波新書「アメリカよ、美しく年をとれ」の中で猿谷さんは「一千日」の翻訳の様子を書いている。
 「一千日」の訳を進めていくうちに、猿谷さんは慄然とする場面に出会った。それはキューバ危機(1962年)のところだ。
 キューバにソ連のミサイル基地が作られ始めていて、それがもし完成すれば、米国は核攻撃の射程内に入ってしまう。危機的状況に直面してホワイトハウスでは極秘裏にその対策を協議した。ペンタゴンをはじめ軍部関係者はキューバ空爆を主張したが、大統領との弟のロバート・ケネディ司法長官が決然として語り始めた。
 以下、猿谷さんの著書「アメリカよ、美しく年をとれ」からの引用だ。
 「私は訳していて、肌に粟が生じるというのはこういうことをいうのかと思った。その部分だけを再録させていただきたいと思う。
 『真珠湾の記憶があるというのに、そしてまた今後の世界でわれわれが背負っていかなければならない責任があるというのに、合衆国の大統領たる者が、こんな作戦に命令を下せるはずがない。175年もの間、アメリカはそんな国ではなかったはずだ。小さな国に日曜日の朝、奇襲攻撃を加えるというようなことは、われわれの伝統のなかにはなかったのである』
 このスピーチが重大な境目になって、米ソの核戦争になったかもしれない空爆から、一転して海上封鎖になったのだとシュレジンジャーは書いている。日本人としては、なんとも胸にこたえるスピーチではないか。」

 ここで猿谷さんの経歴を簡単に紹介したい。
 陸軍パイロットとして太平洋戦争の末期に北海道にいた時、米グラマン機の空襲を受けたが、その時、操縦席に座った米人パイロットの幼さを残す顔が記憶に焼きつき、敵国である米国にひきつけられた。戦後、旧敵をもっとよく知ろうと東大で米国史の研究に進んだが、何と専門の教授がいなかったという。アメリカからやってきたペリーの黒船に開国を迫られながら、明治から大正、昭和にかけて日本の外国研究は、隆盛しつつあった米国はなぜか無視され、欧州一辺倒になっていた様子がよく分かる。
 さて、東大で米国史を始めた猿谷さんは、米国の白人支配層の研究に背を向け黒人、日系人、先住民など忘れられた少数派に光をあて、「もう一つの米国」を紹介した。東大の卒論が斬新な奴隷解放史であったことは先に紹介した通りだ。
 公民権運動が盛んだった頃、猿谷さんは黒人解放史についての別の著書で「黒人大統領は生まれるか」とサブタイトルで問うた。私は、公民権運動に身を捧げてきたジョン・ルイス下院議員をインタビューしたことがあるが、ルイスは「白人たちにこん棒で殴られ続けたあの頃、いつか黒人大統領がこの国に生まれるなんて言えば、お前は狂ったか、と仲間に言われた」と言っていた。猿谷さんのサブタイトルでの問い掛けは、本当に奇想天外だったのだ。
 40年後の2009年にバラク・オバマが初の黒人大統領になった。猿谷さんはその時、「言い知れない感慨」と喜び、「アメリカ社会の底流の変容、変化を見ないわけにいかない」と論じた。猿谷さんが生涯をかけて追った「アメリカの少数派が少数派でなくなる日」、つまり、「多元化社会アメリカ」の理想実現を見たに違いない。そして猿谷さんは「オバマは世界の少数派に希望を与えた。多元化社会は世界潮流」との見通しを語っている。
 猿谷さんは日本であまり知られていなかった米南部にもひかれた。南部といえば、日本では人種差別と貧困で遅れた地域としか知られていなかった。だが、ジャズや文学が花開き、宗教が生活を支え、政治で言えば米国保守の力の源流でもある。実際、ハリウッド映画の代表作として日本人が見たのは、南部を舞台にした「風と共に去りぬ」。南部を知らずして米国は語れないとの猿谷さんの思いは当然だろう。
 威張らない、軽妙な人だった。教授というより、その筆致は文学者のものだ。「点と点を結ぶ飛行機の旅行ではその地を理解できない。地を這わなければ」と言い聞かせ、ハンドルを握って妻と全米を回った多くの紀行文はその真骨頂だ。
 東京・荒川近くで育った。ミシシッピ川を舞台に描いたトム・ソーヤーの冒険、ハックルベリー・フィンの冒険など、作家マーク・トゥエーンの小説が好きだという。ミシシッピ川に妙にひかれたのは、荒川を見て育ったためかもしれない、と振り返っている。

 猿谷さんの訃報を知り、猿谷さんを良く知る米国研究家の何人かに思い出話を聞いてみた。
 少し遅れて米国研究に入った本間長世(ほんま・ながよ )東大名誉教授(81)は「学会で発表するより現場へ行こう、米国の良い面も悪い面も公平に見よう、というスタイルは斬新だった。ジャーナリストでもあった」と言う。
 越智道雄(おち・みちお)明大名誉教授(74)は「自分を押し付けない人だった。家父長的でない、虚の人と言うべきだろうか。黒人を応援しながら支配層の白人をも優しく見つめた。白人を味方にして大統領になったオバマ氏の特性は、猿谷さんのおおらかな視点で見てこそ理解できる」と語っている。

 私は猿谷さんのたくさんの本の中でも、猿谷さんが奥さんの志摩さんと車で回った紀行文「アメリカ大西部」(新潮選書)が好きだ。特に「旅の終わりに」と題したその結びの次の文が、猿谷さんの人柄が良くでていると思う。
 「未知のものに惹きつけられるとき、私は他のことをすべて忘れる。まず夢をみ、それを実現させるような計画を立て、あとは一瀉千里に実行してしまうだの。一度夢を実現させてしまうと、そのあとでまた書斎の生活に戻っても、私の心のなかのどこかに、その夢は生き続ける。そして、遠い南の空に白い雲が湧く頃になると、夢はまた私の心いっぱいに拡がってしまうのである。」
 南の空に白い雲が湧くにはまだ早い。だが、猿谷さんは待ち切れなかったのか、少し早く旅立ってしまった。

 杉田弘毅(すぎた・ひろき)

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by kennedy-society | 2011-02-27 14:23 | 杉田弘毅

ケネディ夫妻の未公開ビデオ




またまた未公開のビデオが公開になりました。これは個人のビデオで、数週間前にテキサス州ダラスにある6階博物館に寄付されたものですが、ビデオはリストアされていて、きれいなカラー映像となっています。

1963年11月21日、暗殺の前日、ライスホテル(Rice Hotel)でのテン系の人達の集まりで撮影されたものですが(ビデオは音声無しです)、ジャクリーン・ケネディも登場してスペイン語で話したそうで、ラテン系の人達が驚いたということです。
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by kennedy-society | 2011-02-26 13:35 | ジョン・F・ケネディ

NHKBS1「発掘テープが語る ケネディ暗殺ケネディ暗殺」

BS世界のドキュメンタリー
「発掘テープが語る ケネディ暗殺」


NHKBS1 2月28日(月) 午後11時~11時50分


1963年のケネディ米大統領暗殺事件。

40数年ぶりに発掘された地元メディアの映像や音声などをもとに、事件当日の朝から容疑者オズワルドの殺害まで、ダラスで起きた悲劇の一部始終をたどる。改めて歴史に残る一日を再構成したドキュメンタリー。

1963年11月22日、ダラス空港に着いたエアフォースワンのドアが開くと、大統領より先にピンクのスーツに身を包んだジャッキー夫人が笑顔で登場する。ケネディ大統領自身も警備の禁則を破り、詰めかけた人びとに歩み寄って直接握手するなど上機嫌だ。雨模様だったダラスもふたりの到着に合わせたかのように空が晴れ渡り、オープンカーでのパレードも予定通り行われることとなった。

ダラスのダウンタウンでは、沿道に配置された中継カメラが車内で仲睦まじく会話を交わす夫妻の姿を映し出す。間もなくスピーチの会場に着くという矢先、事件は起きた。銃声とともに飛び上がり、夫人にもたれかかるように崩れ落ちる大統領。残されたテープにはスピードを上げ病院に向かうリムジン、パニックで逃げまどう人、その場に伏せる人、あわてて警備につく警官など、事件直後の現場がつぶさに記録されている。

およそ15分後、地元テレビは放送中の番組を中断し、ディレクターが息を切らしていることを詫びながら、第一報を伝える。その後も、大統領が収容された病院周辺で聞き込みをするスタッフや、大統領が被弾する瞬間を間近で目撃した一家などが出演し、証言が続けられる。そのほかにも、犯行に使われたライフル銃が発見される様子や、大統領の最期に立ち会った神父のインタビュー、容疑者オズワルドが連行されながら「自分はやっていない」と記者に答える姿など貴重な映像を改めて見ることができる。

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by kennedy-society | 2011-02-23 18:12 | ケネディ暗殺

「フォッグ・オブ・ウォー」マクナマラ元米国防長官の告白

NHKBS2で「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白 」( 2003年・アメリカ )が放映されます。

THE FOG OF WAR:
ELEVEN LESSONS FROM THE LIFE OF ROBERT S.McNAMARA

NHKBS 2月24日(木) 午前0:45~2:33(23日深夜)


アメリカを代表する自動車会社社長、世界銀行総裁などを歴任し、ジョン・F・ケネディ大統領政権下では国防長官を務めたロバート・マクナマラが、自らの人生を赤裸々に語ったドキュメンタリー。

「私は生涯を通じ、戦争の一部だった」と語り、ベトナム戦争やキューバ危機など世界を揺るがした国際紛争の最前線にいた彼が、実体験から学んだ11の教訓を伝えようとする姿を映し出す。アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞受賞。


<作品情報>
(原題:THE FOG OF WAR:ELEVEN LESSONS FROM THE LIFE OF ROBERT S.McNAMARA)
〔製作〕マイケル・ウィリアムズ、ジュリー・アールバーグ
〔製作・監督〕エロール・モリス
〔撮影〕ピーター・ドナヒュー、ロバート・チャペル
〔編集〕カレン・シュミーア、ダグ・エイブル、カイルド・キング
〔音楽〕フィリップ・グラス
〔出演〕ロバート・S・マクナマラ
(2003年・アメリカ)〔英語/字幕スーパー/カラー/レターボックス・サイズ〕

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by kennedy-society | 2011-02-22 20:58 | ロバート・マクナマラ

堀切友孝「ケネディ関連収集 雑感」


堀切 友孝

「ケネディ関連収集 雑感」

☆LPレコード「SING  ALONG WITH JFK」について

当レコードは昭和38年すでに発売されていたが、暗殺事件がおきたので、追悼版と銘打って再発売となる、と新聞記事があった。その発売日学校が終わって、デパートのレコード売り場へ直行したが、LPステレオ版は売り切れ、1500円のLPモノラル版を購入することができました。レコードは当時TVで人気があった「ミッチ・ミラー合唱団のみんなと歌おう」の模倣と思われますが。追悼版はLPサイズのケネディ大統領のポートレートが別に付されていました。 いつでしたか、FM東京のダラス・テキサスの特番でレコードのうち「自由の賛歌」等の数曲紹介がされていました。

☆ケネディの会のブログで紹介のある『ケネディ夫人の礼状』」(我孫子清水著)の書籍―推察

表紙にある「ケネディ夫人のサイン記載の封筒」より本の内容を推察する。

ケネディ大統領暗殺事件の後、新聞にケネディ夫人にお悔やみを表すためのワシントンDCの住所が報道され、私は封書を郵送いたしました。時の経過は覚えておりませんが、21×29センチサイズの黄色封書が私の元に届きました。今、私の手元にある封筒が『ケネディ夫人の礼状』(我孫子清水著)の表紙にある封筒とほぼ似かよっているです。
  封筒の切手代わりの欄にケネディ夫人の(おそらく)プリントサインがあり、大統領一家の教会の前での写真が同封されていました。
 数年前、東京12チャンネルの「何でも鑑定団」に同様の写真が鑑定に出典されたことがありました。放送では封筒や切手代わりの夫人のサイン(プリント)にまでは話が及ばなかったよう記憶しております。
 お悔やみ先の住所が公表されましたので、当時ワシントンにお悔やみを郵送した方は多かったのではないでしょうか。おそらく、そのすべての人々に返事が届けられたと思われます。
 その顛末を本にされたのではないでしょうか?そう推察いたします。

  公用郵便として、送り人のサインが切手の代用使用されていることはユニークで素晴らしいアイデアと感じました。公用郵便のサインについては書籍『大統領への道』の中でも触れていますが。

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by kennedy-society | 2011-02-19 00:06 | 堀切友孝

The Kennedys - Trailer



4月に米国のケーブルのチャンネルで放送される事になった「The Kennedys」(ミニシリーズ。8回)のトレーラーです(最初にCMが入ります)。

ジョン・F・ケネディ=Greg Kinnear

ジャクリーン・ケネディ=Katie Holmes

ロバート・F・ケネディ= Barry Pepper

詳しいことはこちらのサイトで~
The Kennedys 8-part movie event only on ReelzChannel, April 3, 2011
For more news, interviews, showtimes, clips, and trailers go to

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by kennedy-society | 2011-02-13 21:00 | テレビ・映画・舞台