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ケネディ大統領、ケネディファミリー及びその周辺についてのケネディマニア日記です。
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エドワード・ケネディ


エドワード・ケネディ

                                        石川紀文                       

NEWSWEEK日本語版で「特集 今年を駆け抜けた人にさようなら」が掲載されています。取り上げられた人の中にエドワード・ケネディ上院議員がいます。愛称は「Ted(テッド)」。今年8月25日、77歳の生涯を閉じました。テッドのサイン入りの手紙が岩手の我が家の玄関に飾られています。31年前の1978年(昭和53年)6月に渡米して直ぐに彼に手紙を書きました。住所は分からず「ワシントンDC 上院議員エドワード・ケネディ様」にして内容は「8月にワシントンに行くので、あなたにぜひ会いたい」という手紙でした。なんと彼から返事が届いたのです。「その日の日程はまだ分からないが、自分のオフィスに来て下さい」というものでした。いかにもアメリカらしい話ですね。訳の分からない異国の人にちゃんと手紙を寄こすのですから。そして8月ワシントンDCに行き、真っ直ぐ彼のオフィスのあるラッセル上院議員会館に行きました。

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待っていたのは彼ではなく、秘書でした。彼女は「今からテッドが上院でスピーチをするから、特別なパスをあげるのでこれを持って上院に行って」と言われました。そのパスを持って上院へ。一回だけ検問を受けて傍聴席へ。そして直ぐにテッドのスピーチが始まりました。残念ながら当時の(今でも変わらないが)僕の英語力では理解できませんでしたが、これが上院の本会議であり、演説台に立っている人こそテッド、その姿を焼き付けました。最後まで聞いて、夢だったケネディの墓参りにいきました。ジョンよりロバート(愛称ボビー)が好きだったので、ロバート、ジョンの順に墓の前に立ちました。ジョンの墓はテレビ等で紹介されているようにりっぱな墓で「永遠の炎」が点されていますが、ロバートは彼の性格を表すように質素な墓でした。

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14年後の1992年(平成2年)今度はボストンのケネディ記念館でTV取材のため来館していたキャロライン・ケネディ(JFKの娘さん)と会うことが出来ました。

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この二つの話をアメリカ人に話すと「あなたはケネディ家の親戚か」と聞かれます。テッドもキャロラインも今年誕生したオバマ大統領を先頭に立って応援しました。テッドは晩年「上院の重鎮」と言われ、医療・福祉に力を注ぎ、共和党からも信頼を得ていました。
テッドもロバート同様、ジョンの墓の近くに埋葬されました。
テッドの長男はエドワード・ケネディ・ジュニアで現在48歳。実業家として活躍しています。ジュニアは12歳の時、右足をガンで失い、障害を持つ身となりました。テッドの姉ユーニスは「スペシャルオリンピックス」の創設者としても活躍した方です。

永久(とわ)に眠らざる名誉の番人ーその彼を慕う

《NEWSWEEK日本語版》
今年を駆け抜けた人にさようなら

2009年12月26日

********************************

【注】本記事は、石川紀文様のブログ「 skybun 」から、石川様の許可を得て、転載いたしました。

石川紀文
NORIBUMI Ishikawa 1949年茨城県生まれ。
1972年3月 淑徳大学社会福祉学部卒業。児童養護施設チルドレンズ・ホーム児童指導員を経て、盛岡市へ転居。盛岡セントラルホテル、ホテルメトロポリタン盛岡に勤務する傍ら、障がい者支援に長く従事。アクセシブル盛岡代表ほか、福祉・地域振興関連団体の要職を多数務める。第1回バリアフリー化功労者表彰で内閣官房長官賞受賞。ホテル退職後、(株)地域活力サポート設立。淑徳大学コミュニティ政策学部 参与。


淑徳大学広報紙 Together (9ページをご覧下さい)

アクセシブル盛岡の活動


その石川様のケネディ兄弟への想いをつづった文章も合わせて、ご紹介いたします。

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ケネディ兄弟との出会い

                                        石川紀文                       

私が初めてケネディ兄弟を意識することになったのはジョンの暗殺です。当時中学生であった僕は、始まったばかりの衛星中継で伝えられる事件の模様や葬儀に釘付けとなりました。当時の衛星中継と言えば時差の関係のため朝方で、登校前のぎりぎりの時間までテレビに見入っていました。アーリントン墓地でのセレモニーを見ていて「いつか墓参り」をしようと思ったのが最初です。

その後高校、大学に進み、ケネディに関する書籍や資料に触れ、その思いを強くしていました。大学に入学して間もない昭和43年6月、今度はボビーの暗殺のニュースが飛び込んできました。当時、部屋には大きなボビーの写真を貼っていたのですが、その日はずっと彼の写真とニュースを伝える夕刊を眺めていました。彼に関する書物をその後も読む機会が多くなり、ボビーへの思いを深めていきました。社会人となり、結婚もして忙しい日々を送る中でもケネディへの思いは持ち続けていましたが、「墓参り」の夢が実現できたのは衛星中継の当時から15年後の1978年です。カルフォルニア大学バークレー校の英語学校に入学し、勉強の傍らアメリカ各地を旅行したが、特にダラスの現場だけでなく、ボビーの現場となったロスのアンバサダーホテルにも宿泊してきました。そしてワシントンDCでは念願の墓参りをすることが出来ました。

その後、盛岡でバリアフリー・ユニバーサルデザインの市民活動を行なう中で、カナダの障害者との付き合いが生まれ、カナダ訪問の際にボストンに寄る機会があり、ケネディライブラリー&ミュージアムに行き、キャロラインと偶然出会うことが出来ました。彼女には「日本で障害者支援のボランティアをしているきっかけはケネディ家の皆さんの活動を知ったからです」と拙い英語で伝えたのを覚えています。

ホテルマンとして働きながら市民活動を続ける中で僕を支えたのはボビーの言葉です。有名な「Some men see things as they are and say why. I dream things that
never were and say why not」という言葉だけでなく、「小さな波が集まり大きな波となる」とか「歴史を形付けるものは勇気と信念に基づいた行動である」など、困難な場面にぶつかる度、彼の言葉を読み返しました。今年4月からは学生を指導する立場になりますが、ボビーの言葉をたくさん学生達に伝えて生きたいと思っています。私の大学の創立者の言葉に「Not for them , but together with them」という一節があります。まさにボビーの思いにつながる内容だと思います。

いつか再び、テッドも眠るアーリントンを訪ねることが今の僕の夢です。
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by kennedy-society | 2010-01-31 17:48 | エドワード・ケネディ

上院選挙後のジョセフ・ケネディ元下院議員の発言

マサチューセッツ州の上院議員選挙で共和党のスコット・ブラウン州上院議員が逆転勝利した後、初めてのジョセフ・ケネディ元下院議員の公式発言です。

Kennedy says decision not to run ‘wasn’t the greatest’
Boston.com

エドワード・ケネディ上院議員の議席を継ぐための選挙に出馬しなかったのは、「私の人生においてなされたさまざまな決断の中で、最高のアイディアではなかった」とのことであり、「出馬しなかった事を後悔していますか?」という質問に対しては、微笑みながら「少しね」と答えていました。

エドワード・ケネディ上院議員が亡くなった後、出馬も考えたそうですが、最終的には、Citizens EnergyCorp での活動を続けることに決め、出馬しないことにしたそうです。

『父(ロバート・F・ケネディ)は政治家を栄誉ある仕事だと考えていました。私も政治を通して、社会、経済に貢献する人々を尊敬しています。私自身は、
Citizens Energy Corp の仕事を通して貢献するのが一番の方法だと考えました。』
(出馬を断念した時の声明文より)

ジョセフ・ケネディ元下院議員が出馬した場合は、他の民主党の候補者は立候補しないと言っていたそうですが、去年9月、ジョセフ・ケネディ元下院議員は不出馬を決断して、その結果、半世紀にわたってケネディ家が守ってきた議席が失われることになりました。

今回の選挙は、エドワード・ケネディ上院議員の議席を埋めるための特別選挙なので、任期は6年間ではなく、残りの2年間であり、2012年にはまた上院議員選挙があります。その時にジョセフ・ケネディ元下院議員がどうされるのか、今から注目されます。

写真は Citizens Energy Corp として、こちらのお宅の車にガソリンを供給した後、そのお宅の家の前で、ベン・サルブッチさん、奥さんのノーマさんと。


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by kennedy-society | 2010-01-30 23:13 | ジョセフ・ケネディⅡ

ロン・キース氏が描いたエドワード・ケネディ上院議員の絵

ロン・キース氏が描いたエドワード・ケネディ上院議員の絵です。下記のサイトでご覧になれます。

Senator Ted Kennedy
oil on canvas painting by Ron Keas
"At The Helm"


エドワード・ケネディ上院議員が描いたハイアニスの邸宅の絵を元に、そこから出航する風景を描いたものだそうです。これはロン・キース氏からエドワード・ケネディ上院議員にささげる絵で、 「Cape Code Life Magazine」 に掲載される予定です。

サイトのロン・キース氏の写真のすぐ下の 「See the Step by Step creation of the painting」 をクリックすると、この絵の制作行程もご覧になれます。

この "At The Helm" というタイトルの絵は、エドワード・ケネディ上院議員が亡くなったというニュースを聞く2時間前に描き始め、お葬式等を見ながらも描かれ、9月16日に完成したとのことです。
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by kennedy-society | 2010-01-27 10:30 | エドワード・ケネディ

エドワード・ケネディ著『True Compass』の書評

今朝の朝日新聞の The Asahi Shinbun Globe G-7面(白い紙面)に、宮家あゆみ(ニューヨーク在住ラーター・翻訳者)さんの

「ならず者」と「名門」の生き様

という書評が掲載されています。

これは副大統領候補だったペイリン元アラスカ州知事の『Going Rogue』と、エドワード・ケネディ上院議員の『True Compass』を対比的に書評したものです。

ペイリン元アラスカ州知事の『Going Rogue』に対しては、

「率直に語れば語るほど、副大統領としての資質に欠けていたことがわかる。身内である共和党の恥をこれほどまでに暴露した点でも、その人間性に疑問を感じる人は少なくないだろう」

と手厳しい。

一方、エドワード・ケネディ上院議員の『True Compass』に対しては、

「栄光と悲劇の入り交じったケネディ家の人々の物語に、読みながら幾度となく胸が熱くなった。60年代以降のアメリカ政治の変遷を顧みると同時に、本書から考えさせられたこと。それは「真の政治家とはどうあるべきか」だ。」

と評価は高い。

どこかの出版社で、このエドワード・ケネディ上院議員の『True Compass』の翻訳を出版してもらえないだろうかと思う。

私もせめて序文だけでも日本語に直してブログにアップしようと思っているが、なかなか翻訳が先へ進まない。


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by kennedy-society | 2010-01-25 10:30 | エドワード・ケネディ

米マサチューセッツ州上院補選で、民主党敗北

昨年8月のエドワード・ケネディ米上院議員(民主)の死去に伴う米マサチューセッツ州上院議員補欠選挙の投開票が19日行われ、共和党候補のスコット・ブラウン同州議会上院議員(50)が民主党候補のマーサ・コークリー同州司法長官(56)との接戦を制して勝利しました。

【得票率】
スコット・ブラウン同州議会上院議員=52%(116万8107票)
マーサ・コークリー同州司法長官=47%(105万8682票)

BOSTON GLOBE

マサチューセッツ州は、エドーワード・ケネディ上院議員が46年にわたり議席を保持してきた民主党の地盤ですが、ブラウン候補はオバマ政権の医療保険制度改革や経済政策を激しく批判して無党派層を中心に支持を拡大。

今回の補選は、20日に就任1年を迎えるオバマ大統領に対する信任投票と受け止められていただけに、民主党が上院(定数100)で59議席となり、共和党のフィリバスター(議事妨害)を阻止できる安定多数の60議席を失った今回の結果は、オバマ政権には打撃となると言われています。

マサチューセッツ州は民主党の牙城で、共和党が同州から上院議員(定数2)に選出されるのは1967年以来。

画像:
左=マーサ・コークリー同州司法長官
右=スコット・ブラウン同州議会上院議員

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by kennedy-society | 2010-01-20 15:44 | エドワード・ケネディ

現代美術家 平沢淑子さんについて

平沢淑子「追悼 エドワード・ケネディ 」(1月12日アップ)の記事の反響が大きく、平沢さんについて電話やメールでの問い合わせが多数ありましたので、平沢さんについてご紹介させていただきます。

平沢淑子(ひらさわ よしこ)

在パリ、現代美術家
慶応義塾大学文学部独文科卒
NHKアナウンサーをへて
1974年 パリに渡り画業に専念。
1977年より フランス、アメリカ、カナダ、日本、ロシア、エジブト、スイス、イタリアなどで個展、2003年 国連ジュネーブ、2005年 東京佐谷画廊、フジテレビギャラリー、秋田市立千秋美術館 回顧展、 2008年 パリ 国立ギャラリー・グラン・パレ・アートパリ個展他、個展は26回を数える。
内 国立美術館公式展2回、ロシアとエジプト、他国際グルーブ展多数。

著書『月時計のパリ』講談社、『日本の宗教儀式と米』オックスフォード大学出版、ほかエッセイ16編、画集『Yoshiko』フランス ソモジィ美術出版、画集『Yoshiko in Paris』秋田市立千秋美術館編、画集『瀧口修造へのオマーシ゛ュ』佐谷画廊、フジテレビギャラリー編、『ある精神の探求』アンドレ・ピェール・ド・マンディアルグ他著、パリ・レ・ズィユー・フェルチルス出版、講演録『パリ 画業のさなかに』秋田市文化振興会、2010年刊行予定。
   
作品取り扱い画廊: パリ Les Yeux Fertiles ギャラリー 
             Tel 0143262791 Fax 0146341927
アトリエ: パリ  Atelier N 1、Atelier Yoshiko Tel 0145708049                      

こちらのサイトの記事「平沢淑子 パリに生きる インタビュー」で平沢さんへのインタビューがご覧になれます。

「MON PARIS」

平沢さんの公式サイトは下記に。

「Yoshiko Hirasawa」

なお、今回の追悼文は、平沢さんの許可を得て、平沢さんのサイトにアップされたものに、句読点など若干の修正を加えたのち、掲載させていただいたものです。
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by kennedy-society | 2010-01-14 22:57 | 平沢淑子

追悼 エドワード・ケネディ  


追悼 エドワード・ケネディ

                                         平沢淑子                       

パリ、2009年が静かに幕を降ろしつつある時、私はアメリカ、マサチューセッツ州 Hyannis Port から一通の封書を受け取った。
エドワード・ムーア・ケネディ上院議員の遺族からの、私が送った弔文に対する丁寧な礼状であった。

2009年8月25日、エドワード・ケネディ、愛称テッドの訃報が、フランスでも大ニュースとして、TV、新聞で報じられた。

脳腫瘍の手術後療養中とのことは知っていたが、オバマ大統領の就任式に出席したり、大統領のお嬢さんに犬を贈ったりしたなどというニュースも聞いていたので、順調に回復へ向かっていらっしゃるのではと思っていた。

突然の訃報、痛恨の思い居たたまれず、私はFAXで夫人と遺族にワシントンのオフィス宛で弔文を送ったのであった。ナンバーなどは日本のケネディの会の松村氏がメールで知らせて下さった。

葬儀、埋葬の様子はテレビでも報道されていたが、ワシントン特派員の新聞記者の友人が、現地から直接メールで、詳しく伝えてくれた。

ワシントンDC......私は一度だけ行ったことがある。それはテッド・ケネディと会見するためであったのだ。

NHK東京放送総局でアナウンサーをしていたときのことだ。出張でニューヨークに行く折、慶大時代国際関係に興味をもつ「伸び行く青年の会」をちょっと知っていたため、主催者の同級生堀添さんに、なんとかワシントンまで足を伸ばしてテッド・ケネディに会って日本の青少年とのフレンドシップの扉を開いてきてくれないかと頼まれたためであった。

テッドはなかなか会うことの難しい方と聞いていたが、運良く当時のNHK土屋ワシントン支局長が、テッドの右腕である秘書とコンタクトがあるとのことで、私との会見のお膳立てをしてくださったのである。

おかげで私はたった一人でテッドの上院議員オフィスを訪ねたのであった。
入り口までは日本大使館の書記官が付き添い、立派な車で送迎もして下さった。

遠いところから良くいらして下さったと、テッドは温かくオフィスに迎え入れて下さった。テッドはすらりと背が高く、繊細なイメージの貴公子、当時まだ三十代前半の青年セネターであった。
私はどの様な挨拶をしたのかは覚えていないが、彼のオフィスの壁に所狭しと児童画が飾ってあり、それが快い色調であったせいか緊張がほぐれて「貴方のお子様の絵ですか」と真っ先に質問したのだった。
するとテッドはニコニコしながら、これは娘の絵、こちらは息子の絵と近くまで導いて説明してくれたのである。そしてちょっとはにかみながら、あれは私が描いたのです、と一点の作品を指差した。それは明るいブルーの海景の水彩画であった。絵を描くのが趣味ですとおっしゃっていた。
私も絵を描くのが趣味とそのときは言わなかったが、絵のおかげでなんとも和やかな初対面となった。

しばらくソファーに座って対談をしたあと、テッドは是非議事堂を案内したいと誘い、オフィスの地下から議事堂をつないでいる地下鉄に乗せてくれた。遊園地の乗り物のようなミニ地下鉄で、足の長いテッドと秘書は身体を縮めてその小さな椅子に座ったのが微笑ましくつい笑ってしまった私。
議事堂はなんと広大で、あちこちご案内いただいた間、テッドは自ら2度も椅子を探してきてくれて私を休ませてくれた。手には私のバッグを持ってくれた。
最後は長い階段を登って屋上に出て、ここは一番写真映りが良いところですとおっしゃり、そこでご一緒に記念写真におさまった。

終始テッドの優しさにいたわられながら過ごしたひと時が、日米青少年友好のための使命を果たしたものかどうか、、、
私はその後、ブォイス・オブ・アメリカ・ラジオ・ステーションのスタジオでインタヴューを受け会見の様子を話し、また日本に帰ってから、若者向けに「エドワード・ケネディ会見記」を学研の中学コースに執筆した。

そして長い年月が過ぎた。
私は今は一人の画家として長いことパリに住んでいる。

最近、耳にしたことであるが、その後テッドはあの青年の会のメンバーが訪ねて行くと快く会って下さったそうである。
青年の会は今も存続しているかどうかはわからないが、当時の主催者、会員の中から、JICA、国際協力機構の重要ポストで活躍している人、各種の国際ボランティア活動に身を捧げている人が育っているようである。

私は今、テッドがその後描いた絵を見たいと思っている。
ずっとあの青い海を描き続けていらしたのだろうか。何故か彼の描いた水は、とてつもなく澄んだ"生命の水"のような気がするのである。


パリ 2010年 一月一日


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by kennedy-society | 2010-01-12 23:06 | 平沢淑子

ケネディ姉弟に the Tipperary International Peace Award

故エドワード・ケネディ上院議員と姉のジーン・ケネディ・スミス元駐アイルランド米国大使に the Tipperary International Peace Award 
(これまで、ネルソン・マンデラ南ア元大統領やゴルバチョフソ連元大統領などが受賞)
が贈られることになりました。

故エドワード・ケネディ上院議員は、北アイルランド問題に深く政治的に関与し、その平和的解決に尽力、また核廃絶に熱心に取り組み、ジーン・ケネディ・スミス元駐アイルランド米国大使は、1993年クリントン大統領から駐アイルランド米国大使に任命されて、5年間、アイルランド大使を務めました。

このような二人の活動に対して、ケネディ上院議員は、その平和、人権、核廃絶への勇気ある指導力に、ジーン・ケネディ・スミス元駐アイルランド米国大使は、未来のすべての世代がアイルランドの豊かな未来を共有できるようにと行ったすべてのことに対して受賞が決まったとのことです。

*2009年4月21日、エドワード・ケネディ上院議員、ホワイトハウスでオバマ大統領と。

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*2009年12月5日、ジーン・ケネディ・スミス、ワシントンのケネディセンターで、ウィリアム・ケネディ・スミス(左)、ヴィッキー・ケネディ(右)と。

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by kennedy-society | 2010-01-04 23:32 | エドワード・ケネディ

2010年、新年のご挨拶

あけまして おめでとうございます!

2010年 元旦

昨年は、ケネディの会ブログをご訪問いただき、ありがとうございました。

ケネディの会ブログは、昨年一年間で、124件の記事をアップしました。
ほぼ3日に1件の割合でした。アクセス数も、最大で一日5500に達しました。

ただ、エドワード・ケネディ上院議員の逝去をはじめとして、悲しいニュースも多く、残念でなりません。
今年は、明るいニュースをたくさんアップできれば~と願っています。

それでは、2010年も当ブログ、さらに マイスペース:JFK をどうぞよろしくお願いいたします。


ケネディの会代表
松村 要


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by kennedy-society | 2010-01-01 23:22 | その他