カテゴリ:ケネディゆかりの人々 |
ケネディ大統領がダラスで暗殺されて、ジョンソ副大統領が、ダラスからワシントンへ向かうエアーフォースワン機内で大統領就任の宣誓をする写真を撮ったことで有名な写真家セシル・ストートン氏が、11月5日、亡くなられました。享年88歳。 ![]() ホワイトハウスの写真家として、ケネディ関連の写真は1万2千枚ほどあり、そのネガはボストンにあるジョン・F・ケネディ・ライブラリーに収められているそうです。 Photographer who took LBJ's swearing-in photo dies *画像は、セシル・ストートン氏が出版した 『The Memories JFK 1961-1963』 上は、ハードカバー版。 下は、パーパーバック版。 ![]() ![]() |
兄の故ロバート・キャパとともに、世界的に著名な写真家コーネル・キャパが、5月23日午前、ニューヨーク市の自宅で死去。享年90歳。 ライフ誌の写真記者として、ケネディ大統領の選挙戦や、ホワイトハウスの生活を撮影。 また、1974年にはジャクリーン・ケネディらの支援を受けて、 国際写真センター(ICP) を創立。1994年に引退するまで理事長を務めた。 *画像は、コーネル・キャパの写真集 JFK For President: Photographs by Cornell Capa ( Steidl 2004年11月 152頁) ![]() |
マイスペースに俳優のカーク・ダグラスさんが参加していることを米国在住の友人から教えていただき、早速、フレンドリクエストをしましたら、すぐにフレンド承認していただきました。 Kirk Douglas in MySpace ケネディ大統領を直接知っている方ですので、後日、メッセージを送って、ケネディ大統領の思い出を聞いてみます。 *画像は、カーク・ダグラス自伝“The Ragman's Son”。 翻訳(邦題名:『カーク・ダグラス自伝―くず屋の息子』早川書房、1989年10月発行)は絶版で、まだ未入手です。 ![]() |
サイマル出版会を興した田村勝夫さんが、一昨日(28日)亡くなられました。 享年78歳。 1967年にサイマル出版会を設立された田村さんには、 ケネディの会会報「KENNEDY」に 「歴史となった『ケネディの道』」(第6号1994年12月6日) 「歴史記録『ケネディの道』」(第15号2003年11月22日) を書いていただきました。 また、サイマル出版会からはケネディ関連本も数多く出版されています。 初めて田村さんにお目にかかったのは大前正臣先生の喜寿を祝う会でした。 2000年10月28日(土)、内幸町の日本プレスセンタービル内のレストランで開催されたその会は、東京新聞関係者を中心にマスコミ人が多く集まった会でした。 大前先生から、田村さんに「こちらがケネディの会の松村さんです」と紹介されて、ベストセラーの『ケネディの道』やソレンセンについてなどいろいろな話をしましたが、最後に「いい仕事ですね。頑張ってください」とケネディの会会報の発行のことを励ましていただいたのが、心に残っています。 その後も、会報を発行するたび、必ず電話や手紙で感想を知らせてくれていたのですが、去年発行した第24号ケネディ生誕90年記念号と第25号をお送りしたときは、まったく音沙汰がなく、お体が不調なのはその前から存じていましたので、心配していました。また、いつも一言添え書きしていただいていた年賀状も今年は届きませんでした。 そうしましたら、1月30日、河上民雄先生(元衆議院議員)からの電話で、1月28日に亡くなったことを知り、呆然としました。 田村さんには、会報の編集についてもいろいろ教えていただきました。 それまで題字の下には 「ケネディの会」 とだけしか記入していなかったのを、 「「編集・発行人 松村 要」を入れたほうがいいよ」 とアドバイスしていただいて、第21号以降は現在のような 「編集・発行人 松村 要 発行 ケネディの会」 というスタイルになりました。それで、会報1ページのその部分を見るといつも田村さんの顔が浮かんできます。 田村さんに、巻頭文の原稿をお寄せいただいたお礼に私の故郷土佐で果物屋をやっている親戚から「土佐文旦」をお送りしたら、とても気に入ってくれて、ご自分で高知にまで電話して追加分を直接注文されたと聞いて、驚いたことを覚えています。それはその後ずっとそうだったみたいで「松村さんに送ってもらった土佐文旦の箱は年賀状入れになっています」という葉書をもらったこともありました。 その「土佐文旦」を土佐の親戚の果物屋に注文するのは毎年2月第一週。 あと数日というところで、田村さんは旅立ってしまいました。 さようなら、田村勝夫さん。 *(1)画像は、シオドア・C・ソレンセン著 大前正臣訳『ケネディの道』 (弘文堂、昭和41年5月20日) 。この本が出来上がるまでのいきさつについては「歴史となった『ケネディの道』」(会報「KENNEDY」第6号1994年12月6日)で、田村さんが詳しく述べられています。 *(2)田村さんは、30年間に刊行されたすべてのサイマル出版会の本(1126点)を出身地の弘前市立図書館に寄贈。1冊は地下の倉庫で永久保存,1冊はサイマル出版会特設コーナーを設けて市民に貸し出されているとのことです。 ![]() |
マサチューセッツ州議会の上院議長に、この3月、初めて女性が就任しました。 Therese Murray President of the Massachusetts Senate Therese Murray 議員は、ボストンのDorchester地区の労働者階級の家族のもとで育ち、現在はPlymouthに在住。1992年以来、Plymouth and Barnstable District 選出の民主党マサチューセッツ州議会上院議員。 Cape Cod Life 誌の10月号のインタビューで、 「あなたが最初に政治に関心を抱いたのは?」 という問いに対して 「ドーチェスターの子ども時代から、候補者の選挙運動に関心があって、それはいつもワクワクするような出来事でした。なかでも、ジョン・F・ケネディは私に大きな印象を残しました」 と答えています。 きっと子どもの時に生でジョン・F・ケネディを見て、クリントン元大統領やバン・キムン国連事務総長と同じように、政治を目指すようになったのでしょうね。 ![]() |
民主党永田寿康衆議院議員のメール問題で、野田佳彦国対委員長が辞任。 その後任に、渡部恒三元衆議院副議長が就任したが、それを伝えるテレビニュースのタイトルに「東北のケネディ・渡部恒三」とあった。 この「○○のケネディ」という表現は、世界各地で見られる。 たとえば韓国では、2002年のワールドカップを日韓共同開催にまでこぎつけた韓国サッカー協会の立役者として有名な鄭夢準氏が「韓国のケネディ」と呼ばれていた。 日本にも、「○○のケネディ」と呼ばれる政治家は多い。 「東海のケネディ」=海部俊樹元首相 「信州のケネディ」=羽田孜元首相 「下町のケネディ」=深谷隆司元通産大臣 また、個人ではなく、一家として有名政治家が輩出すると「○○のケネディ家」と呼ばれることも多い。日本では、 「鳩山家」(鳩山和夫元衆議院議長、鳩山一郎元首相、鳩山威一郎元外務大臣、鳩山由紀夫民主党幹事長、鳩山邦夫元文部大臣) 「石原家」(石原慎太郎東京都知事、石原伸晃元国土交通大臣、石原宏高衆議院議員) などが、それぞれ「日本のケネディ家」と言われている。 私個人としては、鳩山家が「日本のケネディ家」と呼ばれるのに抵抗はないが、石原家が「日本のケネディ家」と呼ばれるのにはやや抵抗がある。 ケネディ家は、現在の家長ともいうべきエドワード・ケネディ上院議員が民主党リベラルの重鎮と呼ばれるように、その一家から公職についた者はリベラルな政治家が多い。その意味でも、石原家は「日本のケネディ家」というよりは、むしろ「日本のブッシュ家」と呼んだほうがふさわしいような気がする。 |
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