カテゴリ:エドワード・ケネディ |
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「未来の世代のために、いきいきとした私たちの民主主義を守るため、市民たちが、上院が合衆国政府のシステムにおいて果たしている重要な役割を直接学びに行ける場所を持つことは大切なことであると信じる」 (エドワード・ケネディ上院議員) 2008年、エドワード・ケネディ上院議員がその設立目的を述べたエドワード・M・ケネディ・インスティテュートは、ボストンにあるジョン・F・ケネディ・ライブラリーの隣に出来ることになっています。 そのエドワード・M・ケネディ・インスティテュートでは、ケネディ上院議員の上院におけるオフィスも再現されますが、そこにはケネディ上院議員の海の絵や個人的な手紙、ジョン・F・ケネディの軍隊の認識票などが展示される予定です。 ![]() |
エドワード・ケネディ 石川紀文 NEWSWEEK日本語版で「特集 今年を駆け抜けた人にさようなら」が掲載されています。取り上げられた人の中にエドワード・ケネディ上院議員がいます。愛称は「Ted(テッド)」。今年8月25日、77歳の生涯を閉じました。テッドのサイン入りの手紙が岩手の我が家の玄関に飾られています。31年前の1978年(昭和53年)6月に渡米して直ぐに彼に手紙を書きました。住所は分からず「ワシントンDC 上院議員エドワード・ケネディ様」にして内容は「8月にワシントンに行くので、あなたにぜひ会いたい」という手紙でした。なんと彼から返事が届いたのです。「その日の日程はまだ分からないが、自分のオフィスに来て下さい」というものでした。いかにもアメリカらしい話ですね。訳の分からない異国の人にちゃんと手紙を寄こすのですから。そして8月ワシントンDCに行き、真っ直ぐ彼のオフィスのあるラッセル上院議員会館に行きました。 ![]() 待っていたのは彼ではなく、秘書でした。彼女は「今からテッドが上院でスピーチをするから、特別なパスをあげるのでこれを持って上院に行って」と言われました。そのパスを持って上院へ。一回だけ検問を受けて傍聴席へ。そして直ぐにテッドのスピーチが始まりました。残念ながら当時の(今でも変わらないが)僕の英語力では理解できませんでしたが、これが上院の本会議であり、演説台に立っている人こそテッド、その姿を焼き付けました。最後まで聞いて、夢だったケネディの墓参りにいきました。ジョンよりロバート(愛称ボビー)が好きだったので、ロバート、ジョンの順に墓の前に立ちました。ジョンの墓はテレビ等で紹介されているようにりっぱな墓で「永遠の炎」が点されていますが、ロバートは彼の性格を表すように質素な墓でした。 ![]() 14年後の1992年(平成2年)今度はボストンのケネディ記念館でTV取材のため来館していたキャロライン・ケネディ(JFKの娘さん)と会うことが出来ました。 ![]() この二つの話をアメリカ人に話すと「あなたはケネディ家の親戚か」と聞かれます。テッドもキャロラインも今年誕生したオバマ大統領を先頭に立って応援しました。テッドは晩年「上院の重鎮」と言われ、医療・福祉に力を注ぎ、共和党からも信頼を得ていました。 テッドもロバート同様、ジョンの墓の近くに埋葬されました。 テッドの長男はエドワード・ケネディ・ジュニアで現在48歳。実業家として活躍しています。ジュニアは12歳の時、右足をガンで失い、障害を持つ身となりました。テッドの姉ユーニスは「スペシャルオリンピックス」の創設者としても活躍した方です。 永久(とわ)に眠らざる名誉の番人ーその彼を慕う 《NEWSWEEK日本語版》 今年を駆け抜けた人にさようなら 2009年12月26日 ******************************** 【注】本記事は、石川紀文様のブログ「 skybun 」から、石川様の許可を得て、転載いたしました。 石川紀文 NORIBUMI Ishikawa 1949年茨城県生まれ。 1972年3月 淑徳大学社会福祉学部卒業。児童養護施設チルドレンズ・ホーム児童指導員を経て、盛岡市へ転居。盛岡セントラルホテル、ホテルメトロポリタン盛岡に勤務する傍ら、障がい者支援に長く従事。アクセシブル盛岡代表ほか、福祉・地域振興関連団体の要職を多数務める。第1回バリアフリー化功労者表彰で内閣官房長官賞受賞。ホテル退職後、(株)地域活力サポート設立。淑徳大学コミュニティ政策学部 参与。 *淑徳大学広報紙 Together (9ページをご覧下さい) *アクセシブル盛岡の活動 その石川様のケネディ兄弟への想いをつづった文章も合わせて、ご紹介いたします。 ******************************** ケネディ兄弟との出会い 石川紀文 私が初めてケネディ兄弟を意識することになったのはジョンの暗殺です。当時中学生であった僕は、始まったばかりの衛星中継で伝えられる事件の模様や葬儀に釘付けとなりました。当時の衛星中継と言えば時差の関係のため朝方で、登校前のぎりぎりの時間までテレビに見入っていました。アーリントン墓地でのセレモニーを見ていて「いつか墓参り」をしようと思ったのが最初です。 その後高校、大学に進み、ケネディに関する書籍や資料に触れ、その思いを強くしていました。大学に入学して間もない昭和43年6月、今度はボビーの暗殺のニュースが飛び込んできました。当時、部屋には大きなボビーの写真を貼っていたのですが、その日はずっと彼の写真とニュースを伝える夕刊を眺めていました。彼に関する書物をその後も読む機会が多くなり、ボビーへの思いを深めていきました。社会人となり、結婚もして忙しい日々を送る中でもケネディへの思いは持ち続けていましたが、「墓参り」の夢が実現できたのは衛星中継の当時から15年後の1978年です。カルフォルニア大学バークレー校の英語学校に入学し、勉強の傍らアメリカ各地を旅行したが、特にダラスの現場だけでなく、ボビーの現場となったロスのアンバサダーホテルにも宿泊してきました。そしてワシントンDCでは念願の墓参りをすることが出来ました。 その後、盛岡でバリアフリー・ユニバーサルデザインの市民活動を行なう中で、カナダの障害者との付き合いが生まれ、カナダ訪問の際にボストンに寄る機会があり、ケネディライブラリー&ミュージアムに行き、キャロラインと偶然出会うことが出来ました。彼女には「日本で障害者支援のボランティアをしているきっかけはケネディ家の皆さんの活動を知ったからです」と拙い英語で伝えたのを覚えています。 ホテルマンとして働きながら市民活動を続ける中で僕を支えたのはボビーの言葉です。有名な「Some men see things as they are and say why. I dream things that never were and say why not」という言葉だけでなく、「小さな波が集まり大きな波となる」とか「歴史を形付けるものは勇気と信念に基づいた行動である」など、困難な場面にぶつかる度、彼の言葉を読み返しました。今年4月からは学生を指導する立場になりますが、ボビーの言葉をたくさん学生達に伝えて生きたいと思っています。私の大学の創立者の言葉に「Not for them , but together with them」という一節があります。まさにボビーの思いにつながる内容だと思います。 いつか再び、テッドも眠るアーリントンを訪ねることが今の僕の夢です。 |
ロン・キース氏が描いたエドワード・ケネディ上院議員の絵です。下記のサイトでご覧になれます。 Senator Ted Kennedy oil on canvas painting by Ron Keas "At The Helm" エドワード・ケネディ上院議員が描いたハイアニスの邸宅の絵を元に、そこから出航する風景を描いたものだそうです。これはロン・キース氏からエドワード・ケネディ上院議員にささげる絵で、 「Cape Code Life Magazine」 に掲載される予定です。 サイトのロン・キース氏の写真のすぐ下の 「See the Step by Step creation of the painting」 をクリックすると、この絵の制作行程もご覧になれます。 この "At The Helm" というタイトルの絵は、エドワード・ケネディ上院議員が亡くなったというニュースを聞く2時間前に描き始め、お葬式等を見ながらも描かれ、9月16日に完成したとのことです。 |
今朝の朝日新聞の The Asahi Shinbun Globe G-7面(白い紙面)に、宮家あゆみ(ニューヨーク在住ラーター・翻訳者)さんの 「ならず者」と「名門」の生き様 という書評が掲載されています。 これは副大統領候補だったペイリン元アラスカ州知事の『Going Rogue』と、エドワード・ケネディ上院議員の『True Compass』を対比的に書評したものです。 ペイリン元アラスカ州知事の『Going Rogue』に対しては、 「率直に語れば語るほど、副大統領としての資質に欠けていたことがわかる。身内である共和党の恥をこれほどまでに暴露した点でも、その人間性に疑問を感じる人は少なくないだろう」 と手厳しい。 一方、エドワード・ケネディ上院議員の『True Compass』に対しては、 「栄光と悲劇の入り交じったケネディ家の人々の物語に、読みながら幾度となく胸が熱くなった。60年代以降のアメリカ政治の変遷を顧みると同時に、本書から考えさせられたこと。それは「真の政治家とはどうあるべきか」だ。」 と評価は高い。 どこかの出版社で、このエドワード・ケネディ上院議員の『True Compass』の翻訳を出版してもらえないだろうかと思う。 私もせめて序文だけでも日本語に直してブログにアップしようと思っているが、なかなか翻訳が先へ進まない。 ![]() |
昨年8月のエドワード・ケネディ米上院議員(民主)の死去に伴う米マサチューセッツ州上院議員補欠選挙の投開票が19日行われ、共和党候補のスコット・ブラウン同州議会上院議員(50)が民主党候補のマーサ・コークリー同州司法長官(56)との接戦を制して勝利しました。 【得票率】 スコット・ブラウン同州議会上院議員=52%(116万8107票) マーサ・コークリー同州司法長官=47%(105万8682票) BOSTON GLOBE マサチューセッツ州は、エドーワード・ケネディ上院議員が46年にわたり議席を保持してきた民主党の地盤ですが、ブラウン候補はオバマ政権の医療保険制度改革や経済政策を激しく批判して無党派層を中心に支持を拡大。 今回の補選は、20日に就任1年を迎えるオバマ大統領に対する信任投票と受け止められていただけに、民主党が上院(定数100)で59議席となり、共和党のフィリバスター(議事妨害)を阻止できる安定多数の60議席を失った今回の結果は、オバマ政権には打撃となると言われています。 マサチューセッツ州は民主党の牙城で、共和党が同州から上院議員(定数2)に選出されるのは1967年以来。 画像: 左=マーサ・コークリー同州司法長官 右=スコット・ブラウン同州議会上院議員 ![]() |
故エドワード・ケネディ上院議員と姉のジーン・ケネディ・スミス元駐アイルランド米国大使に the Tipperary International Peace Award (これまで、ネルソン・マンデラ南ア元大統領やゴルバチョフソ連元大統領などが受賞) が贈られることになりました。 故エドワード・ケネディ上院議員は、北アイルランド問題に深く政治的に関与し、その平和的解決に尽力、また核廃絶に熱心に取り組み、ジーン・ケネディ・スミス元駐アイルランド米国大使は、1993年クリントン大統領から駐アイルランド米国大使に任命されて、5年間、アイルランド大使を務めました。 このような二人の活動に対して、ケネディ上院議員は、その平和、人権、核廃絶への勇気ある指導力に、ジーン・ケネディ・スミス元駐アイルランド米国大使は、未来のすべての世代がアイルランドの豊かな未来を共有できるようにと行ったすべてのことに対して受賞が決まったとのことです。 *2009年4月21日、エドワード・ケネディ上院議員、ホワイトハウスでオバマ大統領と。 ![]() *2009年12月5日、ジーン・ケネディ・スミス、ワシントンのケネディセンターで、ウィリアム・ケネディ・スミス(左)、ヴィッキー・ケネディ(右)と。 ![]() |
米国上院は24日朝、オバマ大統領が内政の最重要課題に掲げてきた医療保険制度改革の関連法案を、賛成60、反対39で可決。オバマ大統領は同日、「歴史的な投票で、上院が画期的な法案を通過させた。1世紀近くに及ぶ苦闘が終わりつつある」などと評価。セオドア・ルーズベルト元大統領以来、民主・共和両党の7人の大統領が改革を試みてきたことに触れ、「本質的で意味のある医療保険改革をやり遂げる態勢がついに整った」と強調しました。 下院はすでに関連法案を可決していますが、上院を通過した法案では、オバマ大統領が提唱した政府主導の公的医療保険制度の創設は見送られ、一方、下院が可決した法案にはこの制度が盛り込まれており、両院協議会で調整が必要となり、年明けから上下両院協議会ですりあわせに入るそうです。 亡くなったケネディ上院議員が生涯をかけたこの医療保険改革の法案成立を見届けようと、妻のヴィッキー・ケネディは午前6時半には議会へ到着。7時3分から始まった投票をギャラリーで見守ったそうです。 *************************** 92歳のロバート・バード上院議員 「私の一票はわが友テッド・ケネディに捧げる」 ジョン・F・ケリー上院議員 「医療保険改革にその生涯をかけたテッド・ケネディは、今朝、妻のヴィッキーがその法案成立をこれまでになく真近で見ていることに、きっと天国で微笑んでいるに違いない」 ポール・カーク上院議員 (来年1月までのケネディ上院議員の暫定後任議員。60番目の最後の賛成投票をして) 「この歴史的法案が通過するための決定的な1票を投じたのだとマサチューセッツが主張できることを、ケネディはとても誇りに思っているだろう」 *************************** *画像は、法案の通過を喜ぶヴィッキー・ケネディ。議員たちからは「クリスマスプレゼントだね」と祝福されたそうです。 ![]() |
******************************** NEWSWEEK 特集 今年を駆け抜けた人にさようなら 追悼 エドワード・ケネディ(アメリカ/上院議員) The Last Brother 名門一家の偉大な兄たちの影の中で、自分らしい道を模索し続けた末息子 ******************************** 上記の記事が、WEB版のNEWSWEEK(日本語)で読めます。 以下のサイトを開いて、記事の右下にある1、2、3、4 の番号を順次、クリックしてください。 NEWSWEEK LJATEST STORIES *画像は、1962年9月18日、民主党予備選の夜、記者の質問に答えるエドワード・ケネディ。当時、30歳。 ![]() |
LIFE THE KENNEDYS END OF A DYNASTY 全96ページ、2131円(税込)、2009年10月6日発売。 ケネディ三兄弟が中心の写真集です。 Amazonで入手される場合は、こちらです。 ![]() NEWSWEEK SPECIAL COMMEMORATIVE EDITION THE LAST BROTHER EDWARD M.KENNEDY,1932-2009 全94ページ、1900円(税込) ■ ケネディ兄弟最後の1人、エドワード・ケネディの1932―2009年までの生涯を特集。兄弟との幼少期からの写真、家族写真、上院議員として活躍した政治活動など波乱に満ちたエドワード・ケネディの人生を豊富な写真と共に紹介していく。世界的に有名なニュース誌「NEWSWEEK」より刊行された特別号。 NEWSWEEK ![]() *情報提供は、鈴木克美さん。いつもありがとうございます。 |
米マサチューセッツ州のパトリック知事は9月24日、今年8月に死去したエドワード・ケネディ上院議員(民主党)の暫定的な後任者として、同党の元全国委員長だったポール・カーク氏(71歳)を任命しました。 カーク氏は1970年代(1969年~1977年)にケネディ上院議員の側近を務めた経歴を持つケネディ上院議員の長年の友人で、現在はボストンにあるジョン・F・ケネディ・ライブラリーの館長を務めています。 民主党はこのカーク氏の暫定任命で、上院(定数100)で議事妨害を阻止できる安定多数の60議席を再び回復しました。 同州では9月23日、ケネディ上院議員死去を受け、補選までが任期の暫定議員任命を可能にする法案が成立。同州議会は民主党が多数派で、オバマ政権が内政の最大課題とする医療保険改革法案の採決が年内に予想されることを受けた措置だったそうです。 オバマ大統領は同日、カーク氏の暫定指名を受けて談話を発表し、「医療保険や財政改革、エネルギー問題など重要議案の討議を控えるこの数カ月に、マサチューセッツ州が上院での議席を満たしてくれることは喜ばしい」として、歓迎の意向を表明しました。 なお、同州では来年1月19日、ケネディ上院議員の後継議員を決める補欠選挙が予定されています。 写真は、キャロライン・ケネディとポール・カーク氏 John F. Kennedy Library Foundation President Caroline Kennedy and Board Chairman Paul G. Kirk, Jr. ![]() マサチューセッツ州議会で、ジョン・F・ケリー上院議員、パトリック州知事とともに記者会見に臨むポール・カーク氏 ![]() |















