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ケネディ大統領、ケネディファミリー及びその周辺についてのケネディマニア日記です。
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グッドナイト&グッドラック

映画「グッドナイト&グッドラック」の先行ロードショーが今日(4月29日・土)から、TOHOシネマズ・六本木ヒルズで始まりました。このあと5月13日(土)より、TOHOシネマズ他で全国拡大ロードショー。

詳しくは公式サイト「グッドナイト&グッドラック」をご覧下さい。

なお、2月18日にアップした「グッドナイト&グッドラック」についての日記をそのまま転載します。

     *****************************

アメリカの放送ジャーナリストの先駆者で、のちにケネディ政権の広報・文化交流庁(USIA)長官となったエド・マローの実話に基づく映画「グッドナイト&グッドラック」(ジョージ・クルーニー監督、2005年、米映画)が、5月、ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ他でロードショー公開される。

瀬戸川宗太さん(映画評論家)からいただいたマスコミ試写会用の宣伝文によれば、

*「1950年代、アメリカ。マッカーシー上院議員による"赤狩り"が数千人に及ぶ国民から職を奪い、恐怖が全米を覆っていた。報復を恐れるマスコミが批判を控える中、議員の真の姿を報じ、アメリカに自由を取り戻したのは、ひとりのニュースキャスターと、彼と共に闘った記者達だった。ジョージ・クルーニーの監督第2作は、大手テレビ局CBSの人気キャスターでありながら、自らの人生を危機に晒してまでも不当な権力と闘い、「テレビ・ジャーナリズムの父」と今も讃えられるエド・マローの実話に基づく物語。当時、全米を勇気と感動で満たしたマロー達の壮絶な闘いは、ニュースキャスターだった父をもつクルーニーにとって特別な意味をもっており、アメリカや世界がテロによって保守化する今、敢えて挑んだ渾身の一作である。」

とある。

エド・マローとケネディとの関係については、田草川弘著『ニュースキャスター エド・マローが報道した現代史』(中公新書)の中に、短いが要を得た文章がある。

*「マローがケネディ政権下で働いたのは1千日にも満たない。しかも、後半は病気がちで満足に働いたとも思えない。しかし、その間にマローのケネディ観はすっかり変わっていた。毛嫌いしていたケネディに請われ、CBSを追われるようにしてワシントンに来た頃は、いささか相手を見下していたようだ。それがだんだん変わってゆく。
「あの坊や」がいつの間にか「あの若者」になる。ピッグス湾作戦失敗のあとあっさりと判断の誤りを認めたケネディをマローは見直し、「あの若者はただものではない」と語っている。そして、キューバ・ミサイル危機を見事に乗り切ったケネディの度胸にマローは舌を巻いた。「肝の据わった大統領だ」と賛辞を惜しまなかった。その後は私的な会話の中でも「あの若者」とは呼ばず、「大統領」と言うようになっていった。」(同著205頁)

ケネディ暗殺の報を聞いたとき、マローは体が弱っていた。それでもケネディ大統領の棺に最後の別れをするために、力をふりしぼってホワイトハウスへ向かい、たびたび気を失いそうになりながら、ようやくイーストルームにたどりついた。だがすでに力尽きていたマローは、安置されたケネディ大統領の棺のそばに歩いていくこともできず、部屋の隅の椅子に放心したように座っていたという。

その後、ジョンソン大統領に辞表を提出。安住の地を求めて、カルフォルニア、ワシントン、ニューヨークを彷徨ったが、1965年4月27日、死去。享年57歳であった。

テロとの戦争という名目で、政府に野放図な盗聴さえ許してしまう今のアメリカをマローが見たらどのように思うのだろうか。その意味でも公開されたら、ぜひ映画館へ行って見たい映画である。
グッドナイト&グッドラック_e0022333_15251066.jpg

by Kennedy-Society | 2006-04-29 15:26 | テレビ・映画・舞台
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