『松山幸雄 オーラルヒストリー』 |
先日、松山幸雄共立女子大学名誉教授から『C.E.O.オーラル・政策研究プロジェクト 松山幸雄 オーラルヒストリー 元朝日新聞論説主幹』(政策研究大学院大学発行)のP1~29をまとめた小冊子と、ケネディ関連部分の抜き刷りを送っていただいた。 松山先生は、1961年に朝日新聞アメリカ特派員として、ワシントンに在勤されたのを初めとして、1971年にはニューヨーク支局長、1974年にはアメリカ総局長を勤められ、帰国後は論説委員兼編集委員、論説主幹等の要職を歴任されたジャーナリストであり、日米関係に関する著作も多い。 このオーラルヒストリーは、日本とアメリカを100回近く往復された松山先生ならではの、大変貴重な記録となっているが、ケネディ大統領の名前が特によく出てくるのは「第三章 ワシントン特派員時代」である。 「上院外交委員会の雰囲気に感銘―大統領会見は記者との「対決」」 「ケネディ、一般教書で日本に言及―軍事的重要性高まる」 「「ケネディ暗殺」で歴史が曲げられた―「陰謀」があったに違いない」 「キューバ危機の緊張感―シェルターブーム」 「パナマ紛争と平和部隊―途上国との係わり合い」 「歴史の審判に耐えうるケネディの名演説―共産主義国の内部崩壊を期待」 など、ざっと目次を挙げても、読んでみたい内容ばかりである。 ここで少しその内容を紹介すると、 「石原:ところでワシントン在勤中の最も記憶に残る事件は何ですか。 松山:一番忘れがたいのは、なんといっても「ケネディ暗殺」です。ワシントン時代というより、一生のうちで、これほどのショックを受けたのは、後にも先にもありません。当日、第一報を聞いて私はすぐにダラスに飛びました。」(P67~68) 「石原:ケネディ暗殺の次の大事件は? 松山:キューバ危機です。当時は核超大国米ソが、まるでニトログリセリンの箱の上でケンカしてるような感じでした。アインシュタインが「もし第三次世界大戦になったら、第四次世界大戦の武器は石だ」つまり、第三次世界大戦をやったら石器時代に戻るぞと警告するような一触即発の危機が続いていたのです。 (中略) ともかくあのとき、国民の圧倒的支持を背景に、はやる軍部を抑え、ソ連との対話の糸を切らずに、見事に乗り切ったケネディの颯爽たるリーダーぶりは、なんともカッコよかった。 (中略) ケネディのとくに素晴らしかったのは勝ったあと、決して高ぶらず、ソ連を追い詰めなかったことです。このことは、キューバ危機解決の少し後にアメリカン大学でやった「平和の戦略」という演説によく出ています。」(P68~69) 「松山:特筆しておかなければならないのは、さっきもちょっと触れましたが、キューバ危機を乗り切ったあとワシントンのアメリカン大学で行った「平和の戦略 Strategy of Peace」という演説です。私は女子大学の大学院で毎年これをテキストとして読ませましたし、私の著作にも何度か引用しましたが、本当にアメリカ史だけでなく、世界の外交史に残る名演説でした。 「歴史は、国家間の敵意は、個人間と同様、永続するものではないということを教えてくれる。わが好まぬものが、一見いかに固定しているかのように見えようとも、時と事態の推移とは、しばしば国家間にも隣人の間にも驚くべき変化をもたらすものである。われわれは、共産圏の内部に建設的な変化が起こって、現在不可能と思われるようなことが可能になる日を待たなければならない。されば忍耐心をもって事に臨もうではないか―。」 ソ連共産主義が崩壊するなんて、まだ誰も想像しなかった時代ですよ。そのときに「忍耐心をもって共産圏の内部に建設的な変化が起こるのをまとうではないか」 ―すごい見識ですね。歴史の審判に耐えうる演説というのは、こういうのをいうのでしょう。」(P73~74) このようにほんの少し紹介しただけでも、他の部分を読んでみたくなるような本であるが、市販されていないので、大きな図書館等で閲覧するしかないのが本当に残念。多少高くても購入して、ぜひ手元においてじっくり読んでみたいオーラルヒストリーである。 |
by Kennedy-Society
| 2005-07-28 14:12
| 松山幸雄
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